diary

2021.9.1 楽しいが故に追求する。

月に一度の写真部の活動があった。この活動は、みんなが撮る写真について、僕の持っている知恵知識・経験をもってひたすら考察する時間なのだけれど、正直にいうと、とてもつらい時間だったりする。それは、考えていることを言葉にすればするほど、考えていくことから遠のいていく、あるいは色が失われていく感覚がつきまとうからだ。

って、何がつらいって、自分の言語化能力の低さじゃねえかよって話だな。


根底に「楽しい」がある。楽しいが故に追求するのだけれど、追求して辿り着く新たな境地から見える、新たな追求先があることに気付く。それを繰り返していくと、いつからかそれは苦しみに変わってくる。写真を始めた当初から比べると遥かに上達しているはずなのに上手くいっていない感覚に陥ったり、先人たちの時代を見つめる視座や神掛かった技術を目の当たりにすると、追求する先が絶望に似た永遠(果てしなさ)に思えてくる。

と、見えない先ばかり見ようとして絶望していないで、少しずつコツコツと手を動かして、積もっていくような塵を作る秋にしたい。振り返ったときに芸術の秋だったと呼べる秋にしたい。

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