2021/9/4 失敗した過去に挑戦という名の手を差し伸べる

判断を誤った。ツメが甘かった。読みが浅かった。配慮が足りなかった。責任感が足りなかった。気づいた時には時すでに遅し。と、そんな感じでいつも失敗して、注意されたり怒られたり、たまにそれらを通り越して、呆れられたりする。できれば注意されたくないし、誰からも怒られたくないし、呆れた視線を受け止めるのは体力的に一番削られる。もちろん、注意する側の気苦労や、怒るときに使う体力と気疲れや、呆れたときのどうしようもない気持ちの処理のしようの無さは知っている。できれば静かに、楽しく暮らしていたい。だけれどたまに箍が外れてしまい、怒られたくないし怒りたくない関係の秩序が失われてしまい、エラーが起こる。だいたいそういうときは、お酒を飲んで気持ちが大きくなっているときが多い。

失敗したとき、反省という言葉を使う。しかし反省とは何か。反省とは、同じシチュエーションで同じ失敗が起こらないように改善策が為されているかどうか、だと思う。だから、反省していますと言ってお酒をやめるのは、それは反省と言えるのだろうか。たしかにお酒を飲まなければ同じことは起きないかも知れないけれど、僕ははっきりと、それは違うと思う。失敗があるたびに「やめる」という選択をしていると、いざ、好きなことで失敗してしまったときにそれをやめなければならない。好きなことで失敗が許されないなんて、地獄過ぎる。いかに失敗から学ぶかが大事で、失敗したことを切り離すではなく、失敗したことを身につけられるかが、反省と言えるのではないかと、思う。反省とはつまり、失敗から学ぶ、ということかも知れない。

例えば、お酒の飲み過ぎで寝坊したのでもうお酒は飲みません、だと、寝坊した原因は自分ではなくお酒で(あと一緒に飲んでくれたみんなまで不幸になるけれど)、今後いつか、お酒を飲み過ぎても寝坊しなかったという「成功体験」をすることで「失敗した過去」があることにより「克服した、全身した、成長した」と捉えることができる。そういうものだ。


ただ「反省」という言葉は、使えば使うほど軽くなってしまうから、気持ちは言葉よりも広いから難しいし、例え話に対するツッコミ所は「飲み過ぎには気をつけて」の一言に尽きるのだけれど。