diary

2020/6/5

今日はお母さんの誕生日だ。今日で60歳になるらしい。いつの間にか、そんなに歳を重ねていた。あっという間だ、本当にあっという間。歳をとったなぁ。いよいよ本当にクソババァだ。

18歳を卒業するまでは一緒に暮らしていて僕が今30歳だから、親のもとを離れて12年が経ったことになる。この12年のあいだにお母さんと何回顔を合わせたのだろう。とくに近頃は一年に一回くらいしか会えていないから、そう考えるとすごく寂しい気持ちになってくる。

さっき電話をしたら、今日もいつもどおり仕事をして、仕事終わりに少し運動をしてちょうど帰ってきたところだった。今から晩ご飯と言っていた。明々後日の夜に1日1組限定のお店で、ちょっと贅沢に誕生日のお祝いをすることを教えてくれた。良いなぁ還暦のお祝い、僕も駆け付けて、美味しいワインを家族で楽しみながら、「ハッピーバースデイ」を直接言いたい。


電話していたらふいに、過去のおぼろげな記憶が蘇った。

小学校4年生のとき。サッカー部の練習が終わって疲れてて、これから30分以上もかけて歩いて帰るのが嫌になってしまって、お母さんに車で迎えにきて欲しくて「校門まで迎えにきて」と学校の公衆電話から電話をしたことがあった。

だけれど、何分たってもお母さんは来なかった。

僕はずっと待っていることができなくて、帰りだすことにした。入れ違いだったら嫌だなと思い、細い近道を通らずに、お母さんが車で通るだろう道を、車を運転していても見つけてくれるようになるべく歩道も右側を通って歩いて帰った記憶がある。

だけれど結局、お母さんとは合えずに、マンションまで帰ってきてしまった。家にはお父さんがいて、お母さんのことを聞くと、僕を迎えに、歩いて交番まで行ったよ、と教えてくれた。お母さんは校門と交番を聞き違えて、交番で待っていたのだった。交番はマンションからは10分くらい、学校からは20分くらいの場所だった。その場所でお母さんは、来るはずのない僕をずっと待っていた。

お母さんは、部活が終わったあとの僕と交番で合流して、一緒に歩いて帰ろうって電話がかかってきて、どんな気持ちだったんだろう。

僕は、結局車で帰れず、お母さんにも会えず帰ってきてしまったけれど、言い間違い、聞き間違いだったけれど、お母さんが交番まで歩いて迎えにきてくれて、ずっと待っていてくれたことが、ごめんなさいという感覚がありながらも、すごく嬉しかった感覚があった。


そんなことがあったなぁと、思い出した。

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