diary

思い出はいつも曖昧

毎年恒例、新年の挨拶回りではいつも日本酒で酔っぱらう。

町長の家と、そのあとに青山さんちに行って、「今年もよろしくお願いします」を言う。ただ、言うだけではない。ちょっとお酒を注いで、注がれる。こういうのをかれこれ、7年やっている。ご挨拶のつもりが、気づけばいつも、へべれけになっている。そしてへべれけを通り越したその醜態を「粗相」と表現をされるが、粗相の記憶はもちろんなく、粗相を通り越して酔い潰れたあと、目覚めてから、記憶を辿る旅が始まる。そして、誰に謝るか、誰と謝るかで、粗相の規模がわかる。

取り急ぎ、謝罪をする。しかし半年、一年も経てば笑い話になり、いずれ伝説となる。ただ、反省は怠っているわけではないが、反省が生かされることはあまりないのが残念なところだ。でもそのときは、いつも、本当に、やっちまったなぁと思っている。


たった一枚しか撮らなかった写真は、ストロボの設定をしておらず、もやがかった写真になった。この写真を撮った記憶は、もちろんない。それにデジカメなのに、撮った写真を確認しないあたりがロックで良い…。

思い出はいつも曖昧だけど、曖昧なのが良いこともある。

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