diary

冬の写真と、おっぱい

昨日の晩は、お酒は飲まなかった。ただただパスタの大盛りを平げ、すぐにパソコンに向かった。今日がとある写真の賞の二次の提出の締め切りだったから、昨日の夜は徹夜をしてでも仕上げて提出するつもりでいたけど、23時ごろに冬の写真を刷り終えたところでプツンっと糸が切れた。

島の暮らし、都市への旅、沖縄の旅、冬の大山の旅、島と本土間の船旅、九州の旅、地元だけれど実家がない地元への旅、新たな実家、そして祖父母の記憶への旅など、ここ2〜3年で撮ってきた写真をまとめて提出するつもりでいたけど、まとまらなかった。まとまっていなくても提出すれば良かったかもしれないけど、そんなエネルギーもどこかへ行ってしまった。

もう疲れた。だから今年はこれと言った写真の表立った活動はできなかったことになる。いよいよ写真が、趣味になってしまった。でも、こればっかりは仕方がない、まとめる力がなかった。そもそも、まとめようとする発想が間違っていたかもしれないし、自分を見誤ったのかもしれない。いずれにせよ、今年は何もできなかった、何も。銀座でパーティだぜ!天才で良かったー!と浮かれ狂っていた過去を燃やしたい。

それにしても今回の件で、今まで続けてきた過去の自分への申し訳ない気持ちが溢れてしまい、自分を裏切ってしまうのはこんなにもつらいものなのかと思い知っている。この気持ち、星野源に習い「おっぱい揉みたい」ですべてをうまくどうでも良くしたい。

 J-waveで始まった自分のラジオ番組『RADIPEDEA』に届いたリスナーからのメールで関心したのは、「死にたいと思った時に『おっぱい揉みたい』と声に出して言うと、少し幸せな気持ちになりますよ」というものだった。嫌なことがあって落ち込んだり、怒っていたりすると、人は「死にたい」とか誰か特定の人を指して「死ねばいいのに」とか、つい言ってしまうものだけど、そんな時「おっぱい揉みたい」と声に出すだけですべてがどうでもよくなり、気持ちが楽になるということらしい。

星野源「よみがえる変態」

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